このコーナーでは、ローゼンタールをはじめとするユーゲントシュティル・フィギュアを作り出した窯とアーティストをご紹介します。* * * * * * * *
◆ Introduction - フィギュアの背景18世紀イギリスに起こった産業革命により、ヨーロッパ社会は急激に変化していきました。
貴族社会が崩れ、ブルジョワジーが台頭するにつれて、一般の人々のライフスタイルとそれに伴う文化も大きく変化しました。フィギュアはもともと王侯貴族の館を飾るものでした。
当時の宮廷では、晩餐とそれに続くエンターテインメント(音楽や劇、オペラなど)との合間に、出席者を楽しませるべく神話やオペラなどに題材を取ったフィギュアが所望され、マイセンやKPMベルリン、ニンフェンブルグ窯など王立窯によって、いわゆるロココ調フィギュアが多く作られていました。大衆が経済力を得るにつれて、文化は王侯貴族だけのものではなくなり、新しい市民文化が生まれます。それがユーゲントシュティルです。
このムーヴメントを正確に定義することは難しいのですが、「ユーゲントシュティル(Jugendstil)」は、ドイツ圏でいち早くアールヌーボーの洗礼を受けたミュンヘンで、1896年に創刊された生活スタイル雑誌「ユーゲント(Jugend)」から生まれた言葉です。
ここでは便宜上思い切って、ユーゲントシュティルを19世紀末から1920年代までのドイツ圏におけるアールヌーボー〜アールデコ(ゼセッション(ウィーン分離派)なども含めて)ムーヴメントと捉えることとします。ドイツ圏では、1910年代〜20年代がユーゲントシュティル・フィギュアの時代と言えるかと思います。
その頃には、大衆の生活様式や家屋も現在とそれほど変わらないものとなっていました。ユーゲントシュティル・フィギュアはそんなモダンライフにマッチするようなデザインで、主に民間窯で盛んに生産されました。
特にチューリンゲン地方には有力な窯が集中しており、各窯競い合って流行や様々な表現形式を取り入れたフィギュアを造り出したのです。しかし1933年にヒトラー率いる国民社会主義ドイツ労働者党が政権の座に着くと、それまでの芸術風潮は退廃的であるとされ、ユーゲントシュティルは終焉を余儀なくされます。
* * * * * * * * ◇ アーティストの時代
ユーゲントシュティル期は現代でいうインダストリアル・デザインという概念が起こり、磁器を含め日常生活に必要なものをデザインする人物が「アーティスト」として認められだした時代でもあります。19世紀末イギリスに起こったアーツ&クラフツ運動が各国に伝播し、ドイツ圏でも1907年ミュンヘンにてヘルマン・ムテジウスが機能と芸術性の共存を目指す工芸家を中心とした組織「ドイツ工作連盟(Deutscher Werkbund)」を結成します。
ドイツ工作連盟は、Gemeinschaft(前近代的共同体)からGesellschaft(近代的社会)に変わりつつある社会に相応しい芸術を希求し、工業・工芸製品の展覧会を開き、アーティストの権利保護など工芸界の近代化に貢献しました。陶磁器においても、アーティストが前衛的なデザインの食器や現代的なフィギュアを作り出しました。
ローゼンタールやシュワルツブルグなどの民間窯では、窯と契約を交わし複数の窯で制作をする者、窯生え抜きの者、ともにアーティストとして自分のサインをフィギュアに入れる場合が多くなります。
* * * * * * * * ◇ さまざまなユーゲントシュティル・フィギュア
私のフィギュアは人物しかないのですが、次のような特徴が見られます。1)様々な表現形式の取り込み
これまでの宮廷生活を題材とした古典的なフィギュアとは違い、特に民間窯ではロダン的なドラマチックな裸体フィギュアや、大胆なデフォルメを用いたフィギュアなど、当時流行していた様々な造形表現がフィギュアでも試みられるようになります。
特に20世紀初頭よりドイツ中心に展開された、芸術家の内面の表出を重視する表現主義(Expressionismus)はユーゲントシュティル・フィギュアにも大きな影響を与え、ローゼンタールではG.Schliepstein、H.Kuesterなどが前衛的な造形の作品を生み出しています。
古典的な神話テーマのフィギュアなども、新しい解釈で作られるようになります。
「ダイアナ」 G. Schliepstein /KPM2)釉下彩の使用
顔料や窯の温度管理などの技術が進歩したおかげで、この時代には釉薬の下でコバルト以外の顔料を発色させることができるようになりました。実力のある各窯は競って釉下彩やアートグレーズ(クリスタルグレーズなど、釉薬自体で効果を出す)作品を作っています。
ローゼンタールでも釉下彩をいち早く開発したコペンハーゲン窯より1909年にJ.V. Guldbrandsenを招聘(〜1924)し、釉下彩のフィギュアを作り出します。特に魚や爬虫類、昆虫などの動物フィギュアは釉下彩の質感にぴったりとマッチしています。3)エキゾシズム・エンターテインメント
フィギュアのテーマとしては、当時の風俗・流行を反映したものが多く作られるようになります。
特に娯楽については、マスメディアや交通の発達や19世紀後半から欧米で開催された万国博覧会などのおかげで、さまざまな異文化が大衆レベルにまで知られるようになり、バレエやレビューでもエキゾチックな衣装や振り付けが流行します。
ダンサーたちはエジプト、インカ、マヤ、トルコ、中国など異国風の衣装と振り付けで踊り、フィギュアは彼らの写真を元に作られることも多かったのです。
また、ダンサーやピエロが多いのは当時のエンターテインメントの状況を良く表しています。
大衆の娯楽としてキャバレーやサーカスが盛んでしたし、イサドラ・ダンカン(1878〜1927年、自由な振り付けのモダン・ダンスの先駆け)やアンナ・パヴロワ、タマラ・カルサヴィナ、ヴァツラフ・ニジンスキーを擁したバレエ・リュス(Ballet Russ、1909〜1929年、斬新な解釈・音楽・衣装・振り付け)、万国博覧会などの国際的な催しで披露される東洋の舞踊などが当時のアートシーンに衝撃を与えていました。
ローゼンタールを初めとするフィギュアも、バレエ・リュスや東洋の踊りをモティーフとしたものが多くあります。
また動物のフィギュアも動物園の普及とともに盛んに作られ、珍しい動物は各窯で競って作られました。
アンナ・パヴロワ「瀕死の白鳥」 C.H. Defanti作 /Rosenthal
* * * * * * * * ◇ユーゲントシュティル期ドイツ年表
1889 ローゼンタール窯創設 パリ万国博覧会(B&G、鷺サーヴィス出品)
1893 シカゴ万国博覧会
1896 雑誌「ユーゲント」創刊
1900 パリ万国博覧会(コペンハーゲン、ミッドサマー出品)
1903 ヨゼフ・ホフマン、コロマン・モーザー、ウィーン工房設立
1906 ドレスデンにて第3回ドイツ美術工芸展開催、デザイナーの名を示して展示
1907 ヘルマン・ムテジウスを中心としてドイツ工作連盟結成
1909 ローゼンタール、コペンハーゲン窯よりJ.V. Guldbrandsenを招聘(〜1924)釉下彩を本格化
パリでバレエ・リュス第1回公演
シュワルツブルグ窯創設
1915 第一次世界大戦勃発(鉄十字マーク)
1919 ワイマール憲法制定 ワイマールでグロピウスがバウハウス設立
1925 パリで現代装飾美術・産業美術国際博覧会(アール・デコ展)開催
1929 世界大恐慌 シュワルツブルグ窯解体
1932 ウィーン工房解散
1933 ヒトラー政権(国民社会主義ドイツ労働者党)が誕生
バウハウス閉鎖
1934 ローゼンタール、窯オーナーの地位を追われる
1936 ベルリンオリンピック開催
Allach窯、ヒムラーにより買収され将校向け磁器製品を生産
1937 ミュンヘンで「大ドイツ芸術展」「退廃芸術展」開催
1939 ナチス・ドイツによるポーランド侵攻、第2次世界大戦勃発
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◇参考文献
"Rosenthal" Dieter Struss
"Rosenthal - Kunst und Zierporzellan 1897-1945" Emmy Niecol
“Schwarzburger Werkstaetten fuer Porzellankunst” Susanne Wallner他著
"Wachgekuesst" Susanne Fraas
「岩波西洋美術用語辞典」 岩波書店
「ヘルマン・ムテジウスとドイツ工作連盟:ドイツ近代デザインの諸相」 2002年図録
「ヒトラーと退廃芸術−〈退廃芸術展〉と〈大ドイツ芸術展〉−」関楠生著 1992年河出書房新社