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*セーブル ブルーセレステ山うずら目地 花のガーランド天使図パネルティーボール&ラッパと鎌のパネル ソーサー
1770年作 ペインター Jacques FONTAINE(1752-1800)
*マイセン 柿右衛門写し 蝶に岩に牡丹図 ティーボール
18世紀 メリクリウスの杖マーク
ろくろ師「Johann Gottlieb KUHNELL」「MAROUF コレクション」1730年頃の作品で1730年頃僅かな期間にマイセンの双剣マーク以外に鞭のような『メリクリウスの杖』マークのものがあり希少性の高いものです。
イスラム圏に輸出の際マイセンの双剣マークが十字架に見えると言うことで杖のマークに変更されたようです。
私もこのティーボールを数年前に入手するまで、博物館以外で実物を20年近く見たことがありませんでした。一見普通の柿右衛門様式のティーボールです。
磁質は黄色がかっており、気泡っぽい釉薬のような気がします。
ティーボール裏
この時代のものはカップの縁が反り返っているのが特徴です。
1740年以降、時代が下るとストーンと口が垂直で磁質白くツルツルになって来ます。
高台裏にに8の字を横にしたドレイヤーズマーク(ろくろ師マーク)がしっかり入ってますね。1730年以前の初期マイセンの特徴です。「MAROUFコレクション」からヨーロッパのオークションに出品されディーラーさんが落札して日本に持ち帰ってきたもので、来歴がはっきり分かっているヨーロッパ有名コレクターアイテムの真性初期マイセンです。
*ウィーン窯 シノワズリ 八角形 金彩カップ&ソーサー
ウィーン窯らしい重厚な金彩の中国人図のカップ&ソーサーです。
ウィーン第4期 終焉期(1805〜64年)、1831年の作品でアンピール様式です。
金彩が分厚く磁器自体も非常に頑丈です。
カップの膨らんでいる部分のグレーの部分は「銀」で長い年月で酸化銀となり黒色化したものです。
銀磨きで磨く勇気はありませんが…。*ウィーン窯 18世紀 二色の金彩ボーダー人物の居る風景図 カップ&ソーサー
第2期帝立時代(1744年〜1784年)、1770年頃の作品です。
ウィーンらしいシンプルな典型的な風景画です。
中間色を使った落ち着いた絵で建物と木、人物が書かれてます。これもこの時期のウィーン窯の特徴です。
金彩の黒い部分は銀で描かれており2色のコントラストが面白いです。*ウィーン窯 18世紀初期 「Du Paquier」グリーン中国庭園図図 ビーカー
第1期 デュパキエ時代 (1717年〜44年)「Elias Baeck 」スタイルの絵付け 「Zorensky コレクション」より
1730年頃の作品です。
ウィーン窯は1717年、マイセン窯に続くヨーロッパ第2の磁器製造に成功した窯で、マイセンのシノワズリで有名なヨハン グレゴール ヘロルトはもともとはウィーン窯にいました。
ヘロルトがウィーンを去った後でも1720〜30年代はヘロルトが描いていたシノワズリ図を描いていたと思われます。
初期マイセン同様磁質は薄くとても軽く、縁は外に反り返ってます。
マイセンも1720年代の作品にはまだマークはないのが正しいマイセンですが、ウィーン窯もデュパキエ時代の作品は無印です。
「Zorensky コレクション」からヨーロッパのオークションに出品され正しく来歴が分かっているものをディーラーさんが落札してきたものを譲って頂きました。
よって無銘でも正真正銘の真性デュパキエ期のウィーン窯で間違いないと思われます。
*ヘキスト窯 ピンクボーダー山羊の居る風景図カップ&ソーサー
1759〜98年の作品です。
これも20年くらい前に入手した作品で、珍しいヘキストの動物図の細密画がよく描けているので即決しました。
マイセンとは明らかに違う乳白色の釉薬と素地が素晴らしく、手にとって愛でていると磁器っていいなぁと引き込まれます。
*セーブル窯 18世紀 ウズラ目模様 鳥絵カップ&ソーサー
ペインター:N→FRANCOIS-JOSEPH ALONELE(1758〜81年) 1768年の作品です。
水色のとても綺麗なヤマウズラ目模様です。20年くらい前に国内ディーラーから譲って頂きましたので。
軟質磁器のトロッとした柔らかい釉薬の感じがよく分かります。セーブルとウィーンは年代がはっきりわかるのが他と違うところですね。*ミントン窯 トルコ石ブルー地ピンクロータス文 モカ&ソーサー
1872年作品
クリストファードレッサーの有名なトルコ石ブルーのデザインで、貫入がどうしても出てしまう釉薬ですが本作品は綺麗な状態を現在まで保ってます。
エナメルの花絵はこの時代を映し出したデザインで360度描かれてます。
Zwei Teller mit Blumen gemalt in Puce und Kartousche in unterglaurblau mit Goldmalerei mit Alt-Oziermuster Rand
(2枚のピュースの花絵のお皿、染付けのカルテューシュに金彩、アルトオツィールボーダー装飾)
年代:1749-1770年頃か サイズ:直径 24cm
染付の絵付け師:Blaumaler : Johann Hautzenberger(1754-1820)(ヨハン・ホイツェンバーガー)
マーク:Unterglasurblaue Bundenschild und '8' und 'i' in Rot(染付けで盾と『8』、赤で『 i 』(1枚のお皿のみ))マイセン窯を模倣したアルトオツィールムスター(Alt-Oziermuster)のボーダー装飾に、バロックを思わせる、荘厳な染付けのカルテューシュの上に金彩を施し、窓枠の中には繊細な筆致でピュースの花絵が描かれている。
一見、ドイツ6古窯の何処かの作品かと思ってしまうが、ボーダー装飾の精緻さ、繊細さはマイセンを凌ぐ程である。
実はこの2枚のお皿は、裏の窯印からすると、1749−1770年頃の、マリア・テレジアの国営時代のウィーン窯の作品である。素地はそれ程の硬質感は無く、染付け師のマークがハウツェンベルガー(Hautzenberger)であれば(ゾルゲンタール期以前のマークの情報は不確かである)、1760年代の作品ではないだろうか?
ただこの様な染付けに上絵の装飾、金彩の併用など、染付け作品に、後の時代に加飾した作品も存在する。しかしピュースの絵が無ければカルテューシュの中が空っぽであるし、この花絵はオリジナルと考えられ、更にバロック様式を思わせる装飾、染付けの上に施された金彩の入れ方は、古伊万里様式を彷彿とさせる。
そして何よりもボーダー装飾の品質は最上級であり、金彩の使用も妥当ではないだろうか?
マイセン窯でアルトオツィールムスターが考案されたのがおそらく1730年代である。その後ドイツの各窯がこのボーダー装飾を模倣するのは1750年代からで、ヴィーン窯でもこの様な作品が制作された可能性は否定出来ない。しかし一般的にはやはりレアであるから、この作品が本当にヴィーン製であるのか?更に類例がないか、有力貴族のサーヴィスではないのか?更に調査が必要かと考えられる。
更に大きな疑問は、この染付け装飾が恐らくステンシル(Stencil)を持ちいて描かれていると類推されることである。ヴィーン窯と関係の深いドッチア窯では、初期にこのステンシルを用いたスタンピーノ(Stampino)という装飾が、絵付けの水準を維持する為に用いられた。多くは染付けのシンプルな作品に施されたもので、この技術がヴィーン窯に導入されたという事は、両者の装飾の類似性からは可能性はあるものの、現時点では証明出来ない。
Plate of the Worcester Porcelain painted the Exotic Birds with Alt-Oziermuster
上 年代:1770年頃 サイズ:直径 21.5cm
マーク:無し
下 年代:1770年頃 サイズ:直径 20cm
マーク:無し輪花状の辺縁にバスケットの編み目模様を模したモウルディングが施され、中央にはエキゾティック・バード(参照Giles Fancy Bird)が描かれている。
ウースター窯では、初期の1750年代のエキゾティック・バードは、チャールズ・フェン(Charles Fenn)の銅版画を基にしており、細い線で描かれ、彩色もモノトーンで、色数も少ない。しかし1770年代になると、この作品の様により大きく誇張した鳥が、多色を用いて、強い彩色で堂々と中央に描かれる様になる。
またこのようなバスケットボーダーの装飾のオリジナルは、マイセン窯の1730年代の作品に見られるアルトオツィールムスター(Alt-Oziermuster)であるが、ウースター窯はむしろマイセン窯を写したチェルシー窯からこのボーダーパターンを写している。
この装飾は、ウースター窯のボーダー装飾では最も珍しいパターンの一つであるが、ドイツ6古窯等では珍しい装飾ではない。ルードヴィヒスブルク窯や、フランケンタール窯などの作品にも見られる。
マイセン窯では、このボーダー装飾から派生した、ノイオツィールムスター(Neu-Oziermuster)という装飾パターンがあり、それはこの装飾に4本のシャンク装飾が入れられたモノである。この装飾もドイツ6古窯、ヴィーン窯、またイタリアのドッチア窯では、シャンクを5本にしてこの装飾を写している。
また見込みの鳥の装飾には、このツーパターンが存在する。但し、ジャイルズ工房においてもこのパターンは存在し、ジャイルズ工房の場合は、見込みの縁の所に金彩装飾が追加される。またウースター工房自身のモノがハニーゴールドであるのに対して、ジャイルズ工房のモノは、当時ロンドンで主流であったマーキュリーゴールドである。
年代:1670-1690年/寛文ー元禄年間
サイズ:直径:18.2cm、高さ:2.3cm
銘:渦福飛び跳ねる鹿が2匹に、染付けでおそらく楓のもみじ(紅葉)が描かれている。裏には梅花文、銘は渦福が入れられている。
このお皿は17世紀の後半に有田で焼かれた古伊万里のお皿だと思われる。鹿と紅葉の意匠は、この時代に多く制作されている。鹿と紅葉の起源は、古今集 秋215猿丸太夫「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき」と言われている。
しかし古今集では多くの歌を季節の移り変わりを表しながら編集されており、この歌は仲秋の歌群、萩を読んだ歌の所に出て来るもので、従ってこの紅葉は、萩の紅葉の事を指しているものと思われる。
新撰万葉集では、「黄葉:もみじ」と表記されている。萩のもみじは、黄色である。
その後戦国時代から江戸初期にカルタが流行し、百人一首の中にこの歌が、個別に取り出される中で、紅葉が楓のもみじと解釈されるようになってしまったようである。またカルタとは、16世紀の後半、安土桃山時代の¨天正年間にポルトガルより伝わったもので、「天正カルタ」と呼ばれ、これが江戸初期には「ウンスンカルタ」、江戸中期になって所謂「花札」になり、おなじみの楓のもみじに鹿が描かれた札が、この意匠が描かれるに至る、決定的な役割を果たしたものと思われる。
時代的にも、大体このお皿の制作時期に一致すると思われる。
柴田コレクションに、このお皿と殆ど同じ鹿と楓のもみじの絵が描かれた染付け皿が存在する。
年代:おそらく明治期
サイズ:直径7.6cm 高さ2.5cm
無銘
ウースター製ジャイルズ工房(1743-1777)絵付け「色絵荒磯文写し」
年代:1770年頃 窯印なし
直径:22.5cm中央に波間に飛び跳ねる鯉が3尾描かれ、その下に青海波、上には琳派を思わせるような流れる雲か、水の流れを表現した装飾が見られ、周囲には花絵と、典型的な古伊万里様式の装飾が施されている。
このお皿は、古伊万里様式の作品を写したもので、出光美術館のコレクションにこれとそっくりのお皿が存在しますが、この様な装飾は古伊万里では、「色絵荒磯文皿」と呼ばれている。実はこの作品は、古伊万里ではなく、高台周囲の釉薬の途切れや素地から、ウースター磁器と考えられます。
出光美術館は、本歌の古伊万里と、それを写したウースター製の作品の両方を所持していますが、両者とも青の装飾は釉下彩で、その上に金彩が施されています。しかしこの作品では、実は青の装飾は釉薬上に施されている。
また鯉の数も、出光コレクションの二つのお皿では4尾描かれており、この作品より1尾多い。形状もこの作品は輪花になっており、出光のものがシンプルなエッジになっているのとは異なっている。このお皿は、実はジャイルズ工房が白磁のウースター磁器に、「色絵荒磯文」の装飾を施したものと考えられる。
ジャイルズ工房ではウースターの染付け素地(まだ上絵、金彩を施していないもの)で出来の悪いものを買い受けて、工房で装飾して販売していた。
しかしこの装飾に使われる染付け素地(上記)をウースターより購入出来なかった為に、釉下の青の部分を上絵で装飾したものと考えられる。
<男の子> セーヴル窯 ビスクの小彫像「ミュゼット奏者」(Buiscuit Figurine‘Le Joueur de Musette’
年代:1755-1766年、軟質磁器
原型師:ピエール・ブロンドゥ(Pierre Blondeau)(1752)
高さ:23.0cm
マーク:ファルコネのFの刻印ミュゼット(フランスの地方の民族楽器で一種のバグパイプ)を少年が演奏している。18世紀のフランス貴族社会では、ミュゼットは農民の演奏する代表的な楽器であった。
この小彫像は、フランソワ・ルモワーヌ(Francois Lemoyne)(1688-1737)の弟子であるフランソワ・ブーシェ(Francois Boucher)の絵を、ピエール・ブロンドゥ(Pierre Blondeau)が3次元にして原型を作ったものと考えられる。
「F」の刻印は、この作品がファルコネが彫刻部門の監督であった時期(1755-1766)に制作された事を表している。ブーシェは、1701年に絵画と彫刻の王立アカデミー入りを果たした。彼は神話的、宗教的な風景や、子供の絵を牧歌的に描き、1736年からはボーヴェ(Beauvais)のタペストリー工場に下絵を提供していた。
ヴァンセンヌやセーヴル窯は、少なくとも1747年には彼の銅版画から彫像を制作しており、特に子供の小彫像は、1749年より制作されている。この様な小彫像は、デザートのテーブルの中央に置かれたり、書斎のマントルピースの上に置かれることもあった。その後に観劇する登場人物が飾られたり、デザートの席での話題作りに利用された。
<女の子> セーヴル窯 ビスクの小彫像「収穫」(Buiscuit Figurine‘La Moissonneuse’ )
年代:1755-1766年、軟質磁器
原型師:ピエール・ブロンドゥ(Pierre Blondeau)(1752)
高さ:22.0cm
マーク:ファルコネのFの刻印裸足の貧しい農民の少女が、麦藁を抱え佇んでいる。麦の収穫をしているこの小彫像は、フランソワ・ブーシェ(Francois Boucher)の素描を銅版画に起こしたモノを元に、ピエール・ブロンドゥ(Pierre Blondeau)が3次元にして原型を作ったものと考えられる。
この作品は、喜劇作家のシャルル?シモン・ファヴァール(Charles-Simon Favart)(1710-1792)の「モンモランシー・ヴァレー」(La Vallee Montmorency)に触発されてブーシェが描いた素描を元に制作されている。
この演劇は、「テンペの収穫」(Les Vendanges de Tempe)というタイトルで1745年8月にパントマイムとして上演された(後に1751年にバレーとパントマイムに、違うタイトルで作り変えられている)。
この小彫像には、もう一つこれとペアーで 男の子の La Moissonneur というものが存在する。この時代にセーヴル窯に深く関わったポンパデュール侯爵夫人は、幼少の頃(ジャンヌ=アントワネット・ポワソン時代)に、コメディ・フランセーズのジュリオットより芝居を教わっており、アマチュアながらも高い演技力で有名であった。
彼女はベルサイユ宮殿に入ってから、ルイ15世を楽しませる為に、 宮廷内の芝居の出来る者を選抜し、 1747年1月17日にヴェルサイユのティアテュル・デュ・プティ・カビネ(Le Theatre des Petits-Cabinets)で、モリエールの「タルテュフ」(’Tartufe ‘de Moliere)を国王の前で上演している。
当時は教育を受けた殆どの宮廷人は、芝居を演じたり、楽器を演奏したりすることができた。従ってこのような小彫像は、実際の農民をモデルに制作されたものではなく、芝居を演じる宮廷人をモデルに制作されている。その為にどこか上品さを感じる。大英博物館は、これと同じ「収穫」(La Moissonneuse)の小彫像を所蔵しているが、LRの刻印で、 ジョセ・フランソワ・ジョセフ・ル・リーシェ(Josse-francois-Joseph Le Riche)が彫刻部門の監督時代(1780-1800)に制作されたもので、顔の表情等モウルド自体この作品とは異なっている。