Gallery 陶迷庵  Gallery 陶迷庵 − 私のお気に入り * Page 14

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A Nymphenburg Figurine From kazu様 07/01/16

   

   

小彫像/ユピテルに扮する天使
年代:1755-1760年、ニンフェンブアク窯(Nymphenburg Manufaktur)(1747-現在)
   ノイデック工場(Neudeck Manufaktur)(1755-1760)
原型師:フランツ・アントン・ブステリ(原型 1755-1757)
高さ:11.5 cm
マーク:刻印「ダイヤ模様の盾」、「F.B」、「木星(Jupiter)の惑星記号」

このフィギュアは「神々と英雄に扮する天使」(Putten Als Gotter Und Heroen)のシリーズで、ユピター(ユピテル=ローマ神話の最高神、ギリシア神話のゼウス)に扮する天使の作品です。
またこの作品とペアーでユーノー(Juno)(ローマ神話の最高女神)が一緒に制作されています。シリーズ中では、この2体だけが雲の上を飛んでおり、オリンポス山の最高位である事を表しています。
長いベイルをたなびかせ、右手に聖鳥「鷲」を従え、左手には雷束を持っています。
このシリーズは、1760年の目録では26体の小彫像が記されていますが、多くはペアで制作されました。

この作品は、ニンフェンブアク窯の伝説的な原型師、フランツ・アントン・ブステリ(Franz Anton Bustelli)(1723-1763)が原型を制作した作品です。
ブステリがこの窯で仕事を始めたのは1754年の11月3日、1763年4月18日に40歳に夭折するまで、ブステリは約150体の原型をノイデック(Neudeck)の狩猟の館で制作しました。
特にイタリアン・コメディーのシリーズは、ロココの時代でありながら、現代で言うアール・デコの香りを漂わせた斬新な作品群です。

この作品の原型が作られたのは、1755年から1757年であり、1760年にニンフェンブアク城に移転する以前で、まだノイデックに工場が在った時代です。
底に入れられたマーク「FB」は、フランツ・アントン・ブステリのイニシャルですが、この作品自体が、ブステリ自身が成形したのかどうかは分かりません。
この様なFBマークの入った作品は、成形師(Bossierer)が彫像のパーツを組み立てる時の見本になる完成品として利用されたと考えられています。従って、彩色されず白磁のままである事が多く、時に彩色した作品も存在するが、その作品は外部に出た後彩色されたと考えられます。


A Imari B&W Bowl, A Imari B&W Plate From まゆき 05/29/16

   

   

上:鉢 直径15cm(5寸)、 高さ5cm、享保(18C前半)頃?
下:皿 直径18.5cm(6寸)、 幕末?

お鉢は内側の細やかな描き込みに対して外側が無地と、ちょっとアンバランスな感じです。壺のあしらい方が鍋島っぽいですね。
お皿は龍ではなく鳳凰だけですが、マイセンの「宮廷のドラゴン」柄に似ているのが面白いと思い買ってみました。


A Capodimote Beaker From kazu様 05/17/16

   

Real Fabbrica di Capodimote(1743-1759)
(Piattino) Tazzina con fiori di pruno (Sollievo pruno) 梅の花のビーカー(ソーサー) (梅のレリーフ)
 年代:1745-1750、 直径:7cm、 高さ:7cm、 軟質磁器
 窯印:Giglio azzurro 青で百合(釉下に)

この作品は、カポディモンテ窯最初期の、白磁の梅のレリーフのビーカーです。
このような梅のレリーフの作品は、17世紀の終わりから18世紀の初めにかけて、ヨーロパに大量に輸出された、福建省の徳化(Dehua)窯の白磁を模倣したモノです。同じ様な梅のレリーフの白磁は、フランス軟質磁器窯から、ドイツでは硬質磁器に成功したマイセン窯、イギリスのボウ窯と、ヨーロパ各地で模倣され、イタリアでもこの窯に先んじてフィレンツェのドッチア(Doccia)窯でも制作されました。(このギャラリーに以前投稿しました

同じイタリアのドッチア窯では硬質磁器で制作されましたが、この窯では軟質磁器で制作されています。
外観的には、カポディモンテ窯の方がレリーフの輪郭が鋭く、ドッチア窯ではややレリーフの立ち上がりが鈍角になっています。
一般に磁器の焼成に成功しただけの段階では、まだ染付けの顔料は勿論、上絵付けの顔料も未完成であり、この作品のような、梅の花や枝を成型時に貼付ける装飾は、当時非常に取り組み易かったと思われます。
最初期のカポディモンテ窯の素地は、フリット磁器ですが、非常に薄く、透光性が不均一で、同じフリット磁器のイギリスのチェルシー窯のような所謂ムーン(Moon)が認められます。更に轆轤目がハッキリと確認でき、轆轤成形していたと考えられます。


堀口大學とマーティンブラザーズ From KEI様 04/11/16

   

堀口大學(1892-1981)
明治から昭和後期まで活躍した詩人、翻訳家です。
外交官の息子として生まれ、若き日はマリーローランサンに「日本の鶯」と詩に書かれたり、肺結核の治療で片肺を焼かれたり、逸話も恋も多き多感な詩人でしたが詩作の他にも、ランボー、アポリネール、コクトーなどの名詩をそれこそ名訳しました。
良寛に私淑し二双の屏風を経済的理由から手放した時は、その思いを詩にしています。

この「良寛さま」の詩も大學らしい詩で以前から知っていましたが、それが手に入るとは思ってもいませんでした。出た時は画像でもカビの見える状態でしたので表装し直す覚悟で手に入れましたが、幸い洗いだけで綺麗になりました。
読みは「良寛さま こころは円か月の輪と すがたは淡しけむりかと」です。

下においたマーティンブラザースはこの軸には和物よりマーティンだろう!と置いたものです。
画像ですと茶一色に見えますが、軸に表装は深緑です。桐の共箱ともう一枚は若い頃に古書店で買ったコクトーの詩集に大學の署名のあったものです。

追記:マーティンブラザーズ サイズ:高さ22cm 年代:1880年
   詳細は、KEIさんのページをご覧ください


A Giles Worcester Plate From kazu様 01/25/16

   

James Giles Atelier (1743-1777) Plate of the Worcester Porcelain (1763-1768)
サイズ:直径19.0cm
窯印:Red Anchor ( similar to Chelsea one )

このお皿は、典型的なウースター製の輪花の素地に、ジャイルズ工房で中央に果物、周囲にもまた果物、更に昆虫を描いたジャイルズの代表的な作品である。
この様な昆虫の装飾は、元々はスイス人の女性昆虫学者マリア・ジビラ・メリアン(Maria Sibylla Merian)(1647−1717)のイラストに由来するが、特にマイセンではブリュール伯爵のロココ時代(1733-1763)に ゴットフリート・クリンガー(Gottfried Klinger)がこの様な昆虫の絵を写実的に描いた。

しかしこの作品は、この作品のマークが物語っている様に、マイセンの影響を受けて、チェルシーでレッドアンカー時代(1752−1756)に製作された、所謂ハンス・スローンパターン(Hans Sloan’Pattern)をジャイルズ工房が写したものと考えられる。
チェルシーのハンス・スローンパターンは、マイセンと同じく、極めて写実的に描かれているが、このジャイルズ工房の装飾では、非常に鮮やかな色彩で、実寸よりも明らかに大きく、ディーテイルを省略し、しかも全く動きの無い形で描かれている。
このようなスタイルは、ウェット・ブラッシュスタイル(Wet Brush Style)と呼ばれ、ジャイルズ工房に特徴的な描き方である。

またチェルシーでは、1750年代のレイズドアンカー時代(1749-1752 )にも写実的な昆虫の装飾を施した作品が八角皿などに見られる。
ウースター窯自身でも、昆虫と果物を組み合わせた装飾作品が、1780年代に製作されたが、ブルーボーダーウェアの一種で、ダルハウジー伯爵パターン(Earl Dauhousie pattern)と呼ばれている。

この作品のマークは、やや大きいものの、その色彩、形状はチェルシーのレッドアンカー期のものと極めて類似している。ただチェルシーのこのマーク場合、そのマークはもっと辺縁に入れられている事が通常である。
この作品と同じジャイルズ工房の装飾で、ゴールドアンカー期(1756−1769)のマーク、即ちブラウンアンカーや、ゴールドアンカーが入れられている作品も存在する。


Shards of British Slipware From 桃花里様 12/22/15

   

 

18世紀〜19世紀にかけて作られたスリップウエアの破片です。
ロンドンのテムズ河の底から引き上げられました。

デボン州やスタッフォードシャー州が産地のスリップウェアですが、ロンドンにも運ばれてイギリス庶民の生活雑器として使われたのでしょう。
赤土の素地に化粧土で模様を書き、透明釉もしくは半透明釉をかけて焼成したものです。


刷毛目茶碗 From KEI様 08/03/15

   

   

刷毛目抹茶茶碗 古曽部焼二代目五十嵐新平(1791〜1851)

古曽部焼は摂津国古曽部(現大阪高槻市)にあった窯で、一説には遠州七窯とも呼ばれ桃山〜江戸初期にあったと言われていますが、それは不確定です。
ここで書く古曽部焼は1789年寛永年間に初代五十嵐新平が開窯し明治末に閉窯した古曽部焼です。
この刷毛目茶碗は二代五十嵐新平(三代から信平になります)作ですが、見所は同時代の芭蕉終焉の庵を守った大阪の俳人花屋庵鼎左(1802〜1869)の「蓮の香や しばし浮世を 忘る時」の句が自筆で書かれている事でしょうか。丁度今の夏の季節にぴったり!と思い投稿させていただきました。
横に置いた出帛紗は竹屋町裂で、京都の鈴木裂研究所の鈴木一氏の子息一弘さんのものを壺中居の個展の時に求めたものです。
涼しげなので合わせて使っております。


鷺柄染付小皿 From 桃花里様 07/28/15

     

     

初期藍柿右衛門(1650年ごろ)の小皿です。

ちょっと目元がユーモラスな雰囲気を持っている鷺が2羽、向かい合っている図柄。
裏はノーマークです。釉薬がたっぷりとかけられていて、それが裏はムラになっている部分があります。
表はお皿のカーブした渕より下に釉薬がたまっていて、鷺は白ではなく釉薬の色?なのか、 ごく薄い鶯色と黄土色を足したような色合いの釉薬の色になっているんです。
ぬっとりしているような質感といったらいいのでしょうか?
お皿の渕の一番高い部分は釉薬が下に落ちて行っているので白い地肌の色と同じ白に見えます。


A Royal Copenhagen Small Vase 茶入仕立 From KEI様 06/26/15

       

デンマークロイヤルコペンハーゲン 小壺 茶入仕立
 作者:Valdemar Engelhardt  年代:1896年  サイズ:高さ本体のみ7.5cm 胴径7cm

ロイヤルコペンハーゲン、結晶釉の小壺です。
用途はティーキャディと書かれていましたが、この口径ではキャディスプーンは入りません。また付いてきた象牙の蓋はオリジナルと思われます。
よく「日本で茶入れにする為に作った蓋では?」と聞かれますが、この蓋は本体に細い輪の象牙があり、そこにこの蓋を被せるようになっていましたので、日本での細工ではないと思いますし、なにより茶入れの牙蓋に必要な裏の金箔貼りがありませんでした。
hiroさんのHPにもオリジナルの金属の蓋のついた小壺がありますので、オリジナルの蓋と思って良いと思います。

1枚目の画像が購入したそのままの画像で非常に美しく結晶釉が出ています。
2枚目がオリジナルの蓋で、その蓋の輪の部分と蓋を合体させて、少し削り、金箔を貼ったのが3枚目です。
そして4枚目が仕立てたお仕覆で、1800〜50年辺りまでのインドの手織りのカシミール裂を使ってみました。
5枚目はその仕覆におさめた小壺と誂えた桐箱です。これでしっかり茶道具の顔になりました。

尚、この小壺の作者、年代特定、ウニカの情報などは陶迷庵のお仲間hiroさんがして下さったそうです。
安心して購入できました。ありがとうございました。


A Tea Caddy Spoon From kazu様 04/07/15

           

*左2枚:Tea Caddy Spoon
 年代:1888-1925年  サイズ:長さ11.5cm
 メーカー:David-Anderson (Oslo, Norway)

*右4枚:Sifter Spoon (Right) & Tea Caddy Spoon (Left)


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