Gallery 陶迷庵  Gallery 陶迷庵 − 私のお気に入り * Page 13

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3 Stirrup Cups, Dessert Knives and Forks (12pieces) From kazu様 03/01/15

     

* 3 Stirrup Cup Possibly German 800 Silver
 サイズ:高さ7cm カップ直径5.5cm
 マーク: WS (unknown)

以前、桃花里さんのパンチボール話の関連で知ったスタラップ(鐙)カップです。

     

* Dessert Knives and Forks (12pieces) German 800 Silver
 サイズ:長さ15.0cm
 マーク:Bremen maker Wilkens & Sohne

ドルトムントで買った、デザート用ナイフフォークセットです。ドイツのユーゲント・シュティールそのものと思い、買いました。


An Early Martin Brothers Salt-Glazed Vase From risuko様 12/31/14

     

 Incised 'H-85 Rw Martin Bros London&Southall’
 サイズ:高さ 29.5cm

実際手にとってみると、花瓶一面に彫られた花が美しく、手の込んだ技法の作品です。
床の間に飾って楽しんでいます。


A Frankenthal Figurine, A Fulda C/Ss and A Possibly Vezzi Teabowl From kazu様 10/28/14

   

* フランケンタール窯(1755-1799) フィギュア: 刈るヒト/ Schnitter
 年代:1759-1762年
 サイズ:高さ14cm
 モデラー:Johann Wilhelm Lanz(ヨハン・ヴィルヘルム・ランツ)
 マーク:Steigender Lowe und JAH-Monogramm in unterglasur blau(釉下彩の青で飛びかかるライオンとJAHのモノグラム

このフィギュアは、1748年よりストラスブール窯でポウル・アノンの下で原型師をしていたヨハン・ヴィルヘルム・ランツの作品である。
彼は1755年にポウル・アノンらとともにフランケンタール窯に移り、1755年より1761年まで原型師主任を務めた。ストラスブール時代は比較的暗いイメージの作品の多かったランツだが、フランケンタール窯に移ってからは作風が変わり、明るい作品が多くなった。
この作品も、ロカイユ装飾を施した台座の上に、木の幹を背に立っている、大鎌を持って草を刈る農夫を表したフィギュアだが、両手で持っているはずの鎌は失われている。腰のベルトにはサヤが付けられている。顔は頬がふっくらした典型的なランツの作品とは違ってはいるが、頚にスカーフを巻く農夫からは、幾らか気品が感じられる。

     

* フルダ窯(1764-1789)C/S Type7c
 Louis-Seize-Vasen deko und Naturlichen Insecten(ルイ16世時代の花瓶の装飾と写実的な昆虫の絵付け、7cタイプ)
 年代:1781-1789年
 サイズ:カップ高さ7.0cm、直径7.0cm ソーサー直径13.7cm
 マーク: 'f f' unter der Krone in unterglasur blau, Presmarke : 'IK'(王冠の下に釉下に青で「f f」、刻印:「IK」

8世紀にヴェネディクト派修道院が建てられた現ヘッセン州フルダは、1752年に大司教に認められ、その修道院長は、プリンツービショフ(Prinz-Bischof)を名乗り、教区領内を統治するようになった。
1711年、シュナーベルバルト(Schnabelwald)で生まれたカール・ジギスムント(Karl Sigismund)は、古いフランス貴族の家系に生まれた。彼は1729年にフルダ修道院に入り、1730年にハインリッヒ(Heinrich)の名を授かった。1733年に神学の研究の為にローマを訪れ、1735年に帰国し、七年戦争後の混乱期の1759年に、大司教であり、フルダの大修道院長プリンツービショフ、プリンツーアボット ハインリッヒ8世・フォン・ビブラ・ツー・フルダ(Prinz-Bischof, Der Prinz-Abbot Heinrich [ von Bibra zu Fulda)に就任している。
彼は就任するなり、新教徒の待遇を改善し、1764年、オランダのウェースプ(Weesp)窯からやって来たアルカニスト、ニコラウス・パウル(Nikoraus Paul)の協力を得て、司教国営フルダ磁器製作所(furstlich fuldaer porzellanmanufaktur)を設立した。元は 1741年より操業していたファイアンス工場であった。
この作品は、フルダ窯で1780年代に制作された、7Cタイプのシェイプのカップ&ソーサーである。
ハンドルはロココスクロールの形状を遺しているが、中央に描かれたルイ16世様式の花瓶などから、すでに新古典様式に移行した時代の作品であると推定出来る。
この作品の見所は、その花瓶の周囲に描かれた、極めて写実的な昆虫の絵付けにあるが、このような昆虫の絵付けの作品は、マイセン窯やフランケンタール窯でも制作されている。 これらの作品の原画となったのは、ドイツ生まれのスイス人の博物学者であり、イラストレーターでもあった、マリア・ジビラ・メリアン(Maria Sibylla Merian)(1647?-1717)のイラストである。

   

* ヴェッツィ窯?(1720-1727)Tazza di Te a decoro orientale(東洋風のティーボウル
 年代:1724-1727年 素地:硬質磁器
 サイズ:高さ5.0cm、直径8.2cm
 マーク:無し

フランチェスコ・ヴェッツィ(Francesco Vezzi)は、1651年にヴェネツィアとトリエステの間に位置するウディネ(Udine)で生まれた。彼は短期間の訓練の後に金細工師となったが、金融商取引に興味が有り、早くからヴェネチアに出て、その傑出した起業家としての才能を発揮し、直ぐに大きな国際的な宝石商『ドラゴ・ドーロ・ア・リアルト(del Drago d’Oro a Rialto)』のオーナーとなった。それから更に彼は国際的なビジネスを広げて、ヨーロッパ中で有名な人物となった。
彼が如何にして磁器製造に興味を抱いたかは定かではないが、1719年、彼は商用でヴィーンを旅していた。そこで前年の1718年に操業を開始した、デュ・パキエ窯の視察を行い、マイセン出身の絵付け・金彩師のクリストフ・コンラット・フンガー(Christoph Konrad Hunger)と知り合った。ヴィーンでデュ・パキエとパートナーであったフンガーは、磁器の製作工程を会得していなかったが、その製造にカオリンが必要な事は理解していた。ヴェッツィが、どの程度の報酬を提示したかは定かではないが、デュ・パキエに失望していたフンガーにとって、ヴィーンを去る事には何の抵抗も無かっただろう。
1720年、フンガーの引き抜きに成功したヴェッツィは、フンガーの口添えでザクセンのシュノアの土を手に入れる事に成功する。そして同年にヨーロッパで3番目、イタリアで初の真正磁器窯が設立された。
このティーボウルは、装飾は、金彩で花を描き、釉下彩の青に金彩を重ねたり、赤で葉っぱを描いている。明らかに日本の古伊万里様式を模倣した装飾法であるが、この作品の直接的なモデルは、むしろ俗にいう中国伊万里のティーボウルであったと思われる。
ヴェッツィ窯と言うと、その多くの作品がティーポットであるが、その素地は特徴的で、この作品とは異なっている。またマークが入るモノも多い。しかし多くのヴェッツィ窯の作品を丹念に見て行くと、ノーマークの作品もある。また素地もティーボウルではかなり異なっており、この作品の様にしっかりした硬質磁器である事が多い。
高台とボウルの間に釉下彩の青のラインが入っている事、赤絵の葉っぱの葉脈を斜線で描いている事、金彩の品質、青の発色などから見て、ヴェッツィ窯の作品であると考えられる。正確な窯の同定には、素地の成分分析が必要であると思われる。


2 Nymphenburg C/Ss and 4 Frankenthal Plates From kazu様 09/06/14

   

* A Nymphenburg C/S オランダの農夫の装飾
 年代:1760-1770年
 サイズ:カップ高さ4cm、直径8cm ソーサー直径13.5cm
 マーク:Rautenschild

ヨーロッパでは17世紀から18世紀にかけて、 ある比喩的な表現の一つとして、平穏な農村の生活を 代表する、羊飼いや農夫の姿が絵画の画題としてよく選ばれる様になった。
特にオランダでは、過酷な労働を強いられながらも、日常の小さな喜びに生きる素朴な農民の姿を描く絵画がこの時代に発展した。特に17世紀末に活躍した画家、ダフィット・テニールス/デヨンゲレ(David Teniers / de jongere)の作品は人気が高く、銅版画に起こされ、ヨーロッパ中に広められた。

   

* A Nymphenburg C/S 単色のピュースで描かれた、戯れる天使の寓意
 年代:1760-1770年
 サイズ:カップ高さ4cm、直径7.3cm ソーサー直径13.4cm
 マーク:Rautenschild

このカップ・ソーサーは、ニンフェンブルク窯で1760年から1770年に制作された、『戯れる天使』(Putten im Spiel)のシリーズの作品の一つである。
このシリーズは、セーヴル窯で絵付けの指導をしていた、宮廷画家のフランソワ・ブーシェ(Francois Boucher)の絵画を模して、制作されたものである。ヨーロッパ中で人気を博したブーシェの絵画は銅版画に起こされ、1790年代には、それを元にこの窯でも多くの模倣作品が制作された。

   
* A Frankenthal Large Plate 野生の花と三つ編みのレリーフの大きな円形皿
 年代:1759-1762年  サイズ:直径33.5cm  マーク:飛びかかるライオン

   
* A Frankenthal Large Plate 野生の花と三つ編みのレリーフの大きな円形皿
 年代:1759-1762年  サイズ:直径33cm  マーク:飛びかかるライオン

   
* A Frankenthal Large Plate 野生の花と三つ編みのレリーフの大きな円形皿
 年代:1762-1765年  サイズ:直径31.6cm  マーク:CT

   
* A Frankenthal Large Plate 薔薇のブーケと三つ編みのレリーフの大きな円形皿
 年代:1762-1765年  サイズ:直径31.8cm  マーク:CT

フランケンタール窯は、フランスのアルザスの陶磁家(もともとファイアンス)であるポウル・アノンが、ストラスブールで磁器の製造に成功しながらも、王礼で磁器の制作がフランス国内で制作出来なくなった為に、ドイツのプファルツ選帝侯領のフランケンタールで、選帝侯カール・テオドアの許可を得で操業を始めた窯である。
彼はファイアンス制作においても革新的であった。それまでの高温で上絵を焼き付けるグラン・フュに対して、より低温で焼き付けるプティ・フュというより明るい絵付けの技法を発明し、更に銅版画などよりポンシフというステンシルを用いて花絵を陶磁器に写す技法を用いて、素晴らしい絵付けのファイアンスの作品を制作した。またカリテ・コントルニー(qualite contournee)という輪郭線を黒で描く平面的な画法と、カリテ・フィヌ(qualite fine)というより写実的なグラデーションを付けた高品質の画法を使い分けた。 フランケンタール窯には、このような技術が受け継がれている。
1枚目と2枚目はアノン時代の作品である。しかし1762年にポウルの後を継いだジョセフが経営破綻し、選帝侯カール・テオドアに窯を売却している。
3枚目と4枚目はテオドア時代の作品で、イニシャルのCTのモノグラムが窯印に採用されている。
4枚目はやや平面的で、カリテ・コントルニーの作風を少し引き継いでいると思われる。
また何れの作品も、非対称的で、ロココ作品の典型的な構図で描かれている。周囲の3箇所の花の装飾は、中国や日本の磁器の装飾様式を模倣している。


色絵松竹梅花唐草文鉢 色絵楼閣山水文皿、古伊万里染付芙蓉手花鳥文大皿 From kazu様 08/05/14

 

   

   

*上 色絵松竹梅花唐草文鉢 下南河原山、窯ノ辻窯?柿右衛門窯?
 年代:1670-1690年/延宝ー貞享年間
 サイズ:直径13.5cm  銘無し

*中 色絵楼閣山水文皿 下南河原山、窯ノ辻窯?柿右衛門窯?
 年代:1690-1700年/元禄年間
 サイズ:直径23cm  銘無し

*下 古伊万里染付芙蓉手花鳥文大皿
 年代:17世紀末
 サイズ:直径37.4cm  銘無し  目跡五箇所あり


A Frankenthal Teapot & A Ludwigsburg Teapot From kazu様 08/04/14

   

     

*上 フランケンタール窯
 年代:1784-1788年
 サイズ:長径16.0cm、高さ9.7cm
 窯印:CT mit Kurhut mit drei Punkten in unterglasur blau
    釉下彩の青で、選帝侯冠にCTと三つのドット
 Teekanne mit Rippenrelief und unterglasurblauen Indianischen Blumen (Strohblumen)
 リブレリーフと釉下彩の青でインドの花(花麦藁)装飾のティーポット

*下 ルードヴィッヒスブルク窯
 年代:1765年頃
 サイズ:長径17.0cm、高さ9.7cm
 窯印:Doppel C mit Krone in unterglasur blau
    釉下彩の青でダブルCと王冠
 Blaumarke : Uberqueren in unterglasur blau (unbeccant Maler)
    釉下彩の青で十字架(絵付け師不詳)
 Teekanne mit Rippenrelief und unterglasurblauen Indianischen Blume (Strohblumen)
 リブレリーフと釉下彩の青でインドの花(花麦藁)装飾のティーポット


A Tea Cup & Saucer, A Copenhagen Plate From kazu様 06/28/14

     

     

*A Tea Cup & Saucer
 年代:early 19th century  窯:unknown, no mark(The decoration is similar to No.62 of Minton.)
 カップ高さ:6.1cm 直径:7.9cm

*A Plate
 年代:late 18th century  窯:Copenhagen, Three waves mark
 直径:23.8cm


松風嘉定 釉下彩菖蒲文五寸皿 From まゆき 05/19/14

   

年代:明治後期〜大正?
清水焼の三代松風嘉定と思われます。
素地は中央菖蒲の花と左下の蕾部分を盛り上げた型成形。立体感のある素地に釉下彩で描かれ、花の中央部分と蕾にわずかに黄色が使われています。
高台には「為武威真 志松風造(武威真と為すを志し松風造る)」と書かれており、男子の成長を祝う端午の節句につきものの菖蒲(尚武)にかけて、お祝いものとして作られたのではないかと想像しています。


A Vicentini Teabowl From kazu 様 05/18/14

   

*Vicentini dal Giglio poi Sebellin a Vicenza(1788-1827?)
 ティーボール(Tazza di Te) 年代:1790年頃
 硬質磁器(Porcellana dure) 高さ:4.0cm 直径:6.7cm
 窯印:アイアンレッドで百合(Giglio in rosso ferro)

カルロ・ヴェチェンティー二・デル・ジーリオ伯爵(Conte Carlo Vicentini del Giglio)が、このヴィチェンツァのサンタ・クローチェ(Santa Croce)村に陶磁器工場を設立したのは、1788年、5月の事であった。
陶器を中心に生産するこの工場は、150人の従業員を擁し、操業期間中に記録では、1320000点もの作品を制作したと考えられている。
作品はイギリス・ウェッジウッド(Wedge Wood)窯の新古典様式を模したものや、 レ・ノーヴェ窯との類似性もあり、コッツィ窯だけでなく、この窯にもレ・ノーヴェ窯からの職人の流出があったと考えられる。
この窯では陶器と同時に少数ではあるが、硬質磁器も生産し、花綱(Festone)などのモチーフを描き、やはり新古典主義的な作品を制作した。
また、窯印は上絵でブルボンリリーを、アイアンレッドで描く窯印と、しばしばそれに V V の刻印を組み合わせた窯印が使われた。まるでヘヴェルケ窯とカポディモンテ窯を組み合わせたような窯印である。
1797年から1809年の間の何時かに、バルダサーレ・セベリン(Baldassarre Sebellin)が工場を引き継ぎ、硬質磁器は少なくとも1810年までは生産されていた。操業は1827年まで続いた可能性もある。


A Grainger Worcester Tea Set, A Silver Tea Canister, A Silver Tea Caddy & A Loetz Vase From Mie 様 04/07/14

   

*Grainger Worcestor Tea Set :1894年
*Tea canister :Georg Gensen 1920年頃
*Tea caddy :1895-96年 London
*Vase :Loetz glass

大きさを比較するため普通サイズのC&Sと並べてみました。
左のC&S:Royal Worcester shot enamel 1898年、saucer直径 13.8cm cup 直径8.3cm
右のC&S:Grainger Worcester (Worcester Royal China Works) 1894年、saucer直径 11.8cm cup 直径7.3cm

赤絵銅板転写ですが、ルーペで観察したところオーバーグレイズだとわかりました。


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