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年代は1850年頃と聞いています。ディーラーの方に、何を基準に年代を割り出しているのか聞きましたら、主に使われている木材からとのこと。それだけで分かるのかな?と思いましたが、ロンドンのV&Aミュージアムにほぼ同じデザインで台座の足元部分だけデザインが違うティーポイがあり、それは1825年〜30年になっていました。
それは台座についている4つの足が、フルート模様のように縦に筋が入っていて、まるで菊を模した和菓子みたいな形をしています。リージェンシーっぽく見えるので、その年代でなるほど納得がいくのですが、私のはまるいお団子を上から押えたような形です。上のデザインは全然違うのですが、同じくV&Aミュージアムにある別のティーポイは台座の足の形が同じ団子を抑えたような形で、それはもう少し時代がさがります。
なので私が買ったお店のディーラーが教えてくれた1850年ごろと言うのは、あながち間違いではないかもと思っています。以下、英国骨董紅茶銀器の冊子のシリーズ3のなかから説明を抜粋&参考にさせていただきました。
ティーポイとは木製で、数種類の茶葉やミキシングボールなどが内蔵されたチェスト付き家具を言います。
もともとティーポイとはヒンズー語で3脚と言う意味の言葉でお茶とは無関係だったようです。
18世紀には登場していた木製ティーキャディー(木箱の中を2〜3つに仕切って、茶箱と茶葉のミキシングボウルが納められていたり、何も仕切りのない物で茶葉だけを入れるものがあったり)ですが、上部はその形によく似ています(内蔵されている白い磁器製のミキシングボウルは、オリジナルであったであろうガラス製のボウルの代わりに、後から差し替えられたものです)。
ティーキャディーを置く3脚テーブルが19世紀初頭に流行すると、このティーポイのような家具が登場したわけです。私のお迎えしたティーポイはマホガニーで造られており、非常に美しい光沢と木目が出ています。
台座の裏には上部のボックスを左右に動かせるようにネジが入っており、オリジナルの鍵付きです。サイズですが、台座からトップまでの高さおよそ70センチ前後でしょうか?
上のボックスは約38cm×30cm、高さ16cmほどで、電話台くらいの大きさです。
蓋を閉めると、上に一人分のティーセットが乗るくらいの広さはあります。
*レモンストレイナー(またはオレンジストレイナー、シトラスストレイナー、パンチストレイナーと表記されていることもあります)
年代:1764年 ロンドン メーカー:Edward AldridgeTサイズ:ボウルの直径9.3cmレモンストレイナーはパンチ(こちらはウィスキーではなくラム酒やワインに砂糖、ライム、スパイス、水が材料)にレモンやオレンジを絞りいれる時に、種が入ったりするのを防ぐための物。もしくはパンチポットからグラスに注ぎ入れる時に使うためなどの用途があるようです。
画像は片手ハンドルに、グラスもしくはボウルにひっかけるためのフックが付いています。
両手ハンドルの物もあり、それらの姿は1800年後期からのティーストレイナーにそっくりで、これらはモートスプーンではなくレモンストレイナーが元になっていると言われています。*Toddyレードル
年代:1762ー80年頃? 嵌め込まれたコインはジョージ3世(在位1760-1820年)の1762年製3ペンス銀貨ラム酒やワインではなく、こちらはウィスキーが入っているパンチ酒を注ぐためのレードル。
木製のハンドルに当時の貨幣純銀コインが嵌めこまれたボウルには、伝統的なシーンでもあるイングリッシュコテッジを背景に、猟犬がノウサギを追いかける場面がエンボスされています。
年代は純銀コインから制作年代を割り出しているようですが、このようにレードルの底にコインがはめ込まれたトディーレードルは時々見かけます。
こちらはモノグラムが刻まれ、記念品だったかもしれません。
サイズは長さ36.5センチ、ボウル部分の直径5.7センチ、深さ3センチで、ボウル部分は小ぶりです。
推定明治16年〜大正9年 四代六兵衛清水六兵衛のカップ&ソーサーです。ペアで出て来ましたが、大変薄手でエッグシェルと呼ばれる手に近い物です。
こういった薄手の物は九谷、京薩摩などで海外輸出向けに造られた物が多いのですが、意匠、出来と共に異なった味わいがあります。
何故かカップの口辺に釉薬が掛けられておらず、口当たりが悪いのですが、こういった物にお詳しいhiroさんに伺いましたら、そういう物もあるとの事。釉薬を掛けてからの焼成時に形を保つために、口辺を下にするとこうなるとのご意見でした。四代六兵衛と推定しましたのは、素地自体の感触、素地のひっつき、などの特徴と同じような意匠の物で金谷五郎三郎(江戸時代から15代続く鋳金家です)との合作が四代で造られていたからです。あとは私の勘ですが、これは昭和期に入ってからの磁器とは思えません。
合わせたティースプーンは1798ー9年、英国Peter & Ann Batemanのティースプーンです。
厚手のティースプーンですと、この薄さに負けてしまい、又もう少し古いものですと薄いは薄いのですが、この初期のブライトカットがC&Sに合う感じがして選びました。
いかがでしょうか?急いで撮った画像ですので、あまり質が良くないです。お許し下さい。
*Alvin Silver Spoon
1893年 Sterling Silver Length:10.0cm Alvin Manufacturing Co. in Rhode Island in USA (1886-Present)
'Emily June 12, '93'*青磁染付け蒲公英文八角小皿
後期鍋島(元文時代ー明治時代4年/1736-1871年)、口径9.0cm、高台径4.2cm、高さ2.2cm 銘無し
多くの青磁染付けが、染付け部の青磁釉を取り除いて、透明釉をかけて焼成しているが、これは青磁釉のまま焼成されている。
『通観 鍋島青磁』によると、3度青磁釉を施釉し、染付けは2度目の施釉後に行われ、本焼成されるとあります。
この本でこれと全く同じ作品が掲載されています。作品(108)p115*Chelsea-Derby Two Beaker and one Saucer
1770-1790、Beaker Hight:7.6cm / Saucer Length:14.3cm Mark: Anchor intersecting D
素地を光にかざすと、'Chelsea Moon' が、確認されます。
チェルシー工場をダービーが買収した後、レッドアンカー期のデッドストックに絵付けをした事が予想されます。
またカップ内側の花の装飾は、素地の不純物によってできる凹凸を隠す為に施されている。
*香合 真葛製 陶製、印:先代治平香斎
長さ5.0cm、高さ3.4cm*シガレット・ケース 駒井製 布目象嵌、銘あり
横9.0cm、縦8.3cm
銀の葉の左上と左下の銀が剥がれて、下地の布目が露出しています。
一部あとから金で直そうとしたのか、金が一部残っています。
江戸初期1枚目の画像は後ろに箱書き、表千家、而妙斎「サツマ 鶴首茶入 銘鶴声 花押」
手前左から挽家の仕覆、真ん中が通常使う仕覆(如心玉金欄)、右はオリジナルでついてきた仕覆、牡丹金欄で上の方は糸が擦れています。
2枚目が挽家本体(茶入れを守るお家ですね。鉄刀木や黒檀で作る場合も多いですが、これは真塗りで銘の「鶴声」(かくせい)が遠州流三代家元宗實宗匠の字で書かれています。挽家の仕覆は古渡り更紗です。
3枚目がやっと出て来た鶴姫!こういった首の長い茶入れを総称して「鶴首」と呼びます。時代は江戸初期ですがそれでも「古」はつけるな「古薩摩」とは言わないそうです。
写真映りが悪いのですが、実際のが美人です。
4枚目が箱で真ん中が挽家、両側に前出の如心玉金欄と、もう1枚替えの紹鴎緞子の仕覆が、中に綿を入れた白い絹の詰め物を入れて納まっています。
5枚目が箱です。まあ本当に衣裳持ち、クローゼット完備!
色々な物を従えたお姫様でございました。
ボウルとハンドルヘッドの部分に「Plique-a-jour Enamel」技法を用いて形作られたスプーンです。
形容しがたいこの曲線美に、強く引きつけられてしまいました。
後方から光を透過させたときの美しさは格別です。刻印がなく、いつどこで製作されたものか正確には分かりませんが、似た形のスプーンが燕市産業資料館の伊東豊成氏スプーンコレクションでノルウエー製とされています。
おそらく1900年代初期頃の物と思われます。
Limoges enamel box circa1890-1900
Tea caddy spoon / Birmingham Josef Willmore 1829-30
Royal Worcester plate 1891
1890-1891 (Year Mark q)
Maker: Norway Oslo David Anderson / Imported to Birmingham / Import Mark: F
*A Wilhelm Casper Wegery Factory Figurine
Wilhelm Casper Wegery Factory (1751-1757) (ヴィルヘルム・カスパー・ヴェゲリー)
Aus der Puttenserie: 花屋の天使(PUTTO ALS BLUMENHANDLERIN (Angel as Florist))
高さ:11.0cm Mark: W underglaze blue1751年、綿織物業をしていたヴィルヘルム・カスパー・ヴェゲリー(Wilhelm Casper Wegely)は、ブランデンブルク選帝侯フリードリッヒ2世(フリードリッヒ大王)(Friedrich U) の後援のもと、プロイセンのベルリンで最初の磁器メーカーの操業を始めた。
ヘフストやマイセンからの職人を雇い入れ、特にフィギュアではマイセンやウィーンのモチーフが模倣された。
その後、結局充分な支援は大王から受ける事が出来ず、経営難から1757年に廃業に追い込まれる。
Real Fabbrica Di Napoli (1771-1834)
Napoli Figures (1775-1780)
Coppia di Puttini (Allegoria dell'Autunno e Primavera / 四季のシリーズ、秋=右と春=左 )
Modellatore: Francesco Celebrano, 高さ: 11.5cm / 11.0cm, No Mark1759年、カルロス7世の三男のフェルディナンドは、カルロス7世の後を継いでナポリ王フェルディナンド4世(Ferdinando IV)として即位する。
1771年、カルロス7世によって廃棄されたカポディモンテ窯の再興を目指して、ナポリの王の別荘であるポルティーチ(Royal Villa of Portici)に王立窯を設立する。